housenka1923の日記

荒川が造られた頃のことにあった事件を60年ほどのちに、地域に住む方々が教えてくれたのが始まりでした。1923年9月1日の関東大震災が起きた直後、多くの朝鮮人を殺して、その河川敷に埋めたことを。遺骨の一つでも葬ってあげなければ浮かばれないと。

新年のご挨拶

 暖かな正月、と書いて手が止まった。多くの地域での大雪での被害や事故のニュースを思い出したからです。

 めでたくもない正月を過ごしておられる方々のご苦労を思います。

せめてご無事で過ごされることを願います。

 

 昨年は、沢山の方が訪問下さりました。お会いできない方もいらしているのを、残されたお花や供物を見てありがたく思っていました。そこで、一言書き残してほしいと願い便せんなど用意しました。書いてくださった方ありがとうございました。ここに紹介させていただきます。

 

11月19日

 都退教協(都教員退職者会)で訪れました。

 この碑が美しく整備されていることに感謝します。

 二度の惨禍の訪れぬよう、私たちも活動していきたいと思います。

                          T・S

11月21日

 70年近く前に岡山市立三くん小学校の一年生の時の先生が絹田先生で、15年前の朝日新聞の記事でこのことを知り、いつかは来ようと思っていましたが、この度の訪問で来れて良かったです。        岡山市 k・m

 

12月30日(月)

 はじめまして、こんにちは。

 映画「福田村事件」を観たのをきっかけに、こちらの事件を知り、伺わせて頂きました。もう二度とこんな悲劇が起らないように説に願います。

 

 お手紙は以上三件ですが、実にうれしいお手紙です。

この国は、加害の事件を認めない決意に固まっているなかで、力強いです。埼玉や千葉、杉並などに続いて地方行政が声を上げる連鎖が広がることを願います。

 

 1月は、韓国から二つのグループが訪問下さります。

いつも、追悼式で行われるプンムルの練習も始まります。

 1月13日14時からと26日15時から 八広小学校に体育館を借りました。

 

会報新年号は2月上旬に発行予定です。

 

終わりに、いくつか写真を紹介します。

 昨年亡くなられた森田睦画伯の書です。ほうせんかの玄関に掲げています。

 

 

 

ガザ、ふくしま連隊の凧揚げをしました。