housenka1923の日記

荒川が造られた頃のことにあった事件を60年ほどのちに、地域に住む方々が教えてくれたのが始まりでした。1923年9月1日の関東大震災が起きた直後、多くの朝鮮人を殺して、その河川敷に埋めたことを。遺骨の一つでも葬ってあげなければ浮かばれないと。

写真でみる追悼式の様子

9月3日は 素晴らしい追悼式日和でした。

 河川敷での準備は12時半から レンタルグッズの荷下ろしから始まります。

テント、机、椅子、発電機などなどを借りています。

荷下ろしが終わったらテント張り

例年のベテランに 今年は100ニョンの若者が加わりました。いい感じ‼

会場の前面にのぼりを立てました。

 昨年の反省会で「何をやっているのかわからない。私たちの目的を町ゆく方々にお知らせしよう」とのお言葉を頂いたからでした。

急遽、和紙で作ったのぼりは途中 風で破けてしまいましたが~

関東大震災犠牲 韓国朝鮮人追悼式」と書きました。

加えて プンムルの農旗

「農者天下之大本」「子ども天下の大本」も立てました。

傍らに、チャンゴのバチに使う竹の根っこで三つ巴を添えました。

「あれはなんだ?」の質問を頂きましたのでお答えします。

 竹の根は 鹿児島の友人の田んぼのそばでみつけたもの。大喜びして飛行機に乗せてきたのでした。さて、現場にて、細竹をどう置くかしばし悩んでいたところ、佐渡での風景を思い出したのでした。福島の子どものたちのための保養所「へっついの家」の大きなブランコを! 大きな竹を三つ巴にしてブランコとしていたのでした。

非力な竹も、支え合い力を束ねれば強靭になる!まるで私たちの想い・集いのよう!

ちっとや そっとでは、飛ばされない。倒れないのです。

その、鹿児島の友人も追悼式に参加していました。

豚革はすみだの特産品!

 会報でも写真を紹介しましたが、これはカラー写真でないとよさが判らない!

作者の渡辺つむぎさんが真ん中に 立ってくださいました。

追悼式ボランティア活動 ?年

プンムルのチャンゴ参加 ?年

地元の力強い仲間です。

左側の作品が、沖縄の図。 カチャーシーを舞う人々の手のひらが優しくも力強い 

右が むくげとほうせんかに囲まれた追悼碑を守るように囲むプンムルの場

「腱鞘炎になるかと心配しながら」毎日毎日開けても暮れてもとんとんとんとん

豚革だけに とんとんとんとん( ^ω^)・・・頭が下がります。

式の名物になりましたね 

追悼の花束

 今年も参加者みんなで作りました

毎度のプンムル~にぎやかに 追悼しながら未来への希望を込めて~~~

ジョンミ ミニコンサート

 最後に式で歌って下さったジョンミ・ゆみに再登場いただきフィーナーレを飾って貰いました。

 追悼の歌から、がらりと雰囲気を変えて明日にむけての熱い歌声を🎶

会場から踊りだす方々も~~盛り上がりました。

この場に思いを共にしながら いることを喜びながら、歌い踊りました。

また、来年も!また会いましょう!と