100年ペンニョン メンバーから
追悼式初参加の感想を紹介します。
ペンニョンメンバーの内山晴海と申します。
2017年の小池都知事の追悼文送付取りやめをきっかけとして関東大震災朝鮮人虐殺に関心を持つようになりました。私はこのニュースに触れるまでは虐殺についてほとんど知りませんでした。日本人が非常に多くの命を奪い傷つけたにも関わらず、そのことを知らずに生きてきたことに驚き、勉強するようになりました。虐殺を無かったことにせず、反省と追悼を続け、差別のない社会を作れるように微力ながら頑張ります。
私は今年初めて追悼式に参加し、プンムルにも参加しました。
式典の中盤、ペンニョンメンバーを紹介いただきました。普段人前に立つことがないため、とても緊張しましたが、何より参加者の多さに驚きました。長年活動されてきたほうせんか理事の方々や支援者の方々の努力と歴史を目の当たりにしました。いよいよ本格的に始まるのだな、と改めて思いました。ペンニョンの一員として100周年の式典に向けて最善を尽くすと共に、今まで活動されてきた先輩方への敬意を忘れずにいたいです。
ペンニョンメンバーを代表して挨拶してくださったうひさん・もえさんのスピーチも素晴らしかったです。
虐殺が決して「遠い過去の出来事」ではないことを再認識しました。継承される虐殺の記憶や、ヘイトクライムが起きている日本社会で在日コリアンの方々が感じる恐怖、世代間のことについて、自分の無関心さや無知を反省しました。一方で、私が想像することの限界も感じました。日本社会において民族や国籍においてマジョリティである私が安易に「理解できる」などとは言えません。今後、活動していく中で、在日コリアンの方々や被害者遺族の方々の思いや声に真摯に向き合い、自分の立場を忘れずにいたいと思います。
また、日本人である私は、当時虐殺を止められなかった大勢の日本人について、想像力を働かせる必要があると思いました。被害者一人一人の恐怖や苦しみを想像することに加えて、日本人という立場である以上、自分は加害者側・虐殺を止められなかった側の人間ということも忘れないようにしなければなりません。もしあのとき、デマを否定し、虐殺を止めようとした日本人がもっと多かったら…と考えることもあります。差別を容認する空気が蔓延しているこの日本社会では、一人一人の意識が大切で、大勢の無関心を変えていく必要があると思います。
続いて ペンニョン メンバーの自己紹介です。
100年ペンニョンは 追悼式後も月一ほどの集まりを持ち、どのように100年を迎えるのか、追悼式をどう作り上げるのか、様々な観点から検討を楽しんでいます。今回はメンバーの自己紹介第一回目です。紹介は続きます。お楽しみに!
遠藤純一郎(えんどう・じゅんいちろう)
性のことについて考えるきっかけ作りを目指す「白いチューリップ」というチームを2018年に立ち上げ、カレンダーや歌付きアニメーションを制作。2021年から「アスUS」という団体で、東京芸術大学を拠点にハラスメントの構造について考える勉強会を企画。あらゆる人権について向き合うことや連帯を促すような表現、運動について考えながら、地道に勉強・活動しています。ペンニョンでは主に証言の朗読を考えるチームの一員として活動していきます。追悼式で、犠牲になった一人一人に思いを馳せられるような時間を作れたらと思っています。
渡部 周(わたなべ・しゅう)
私はグラフィックデザイナーをしながら美術学校で講師の仕事をしています。また、個人で創作活動もしていて『流言蜚語』というテーマでリサーチを進めるうちに関東大震災の事件にたどり着き、非常にショックを受けました。
多様な方が集うペンニョンの活動を通して、日本人としてどうやってこの事件に向き合うのかを考えたいと思っています。
そして、101年目以降も忘れられる事が無いよう、何らかの形でアーカイブを残していきたいと考えています。
(A.M)
「私は大学の講義において、ほうせんかの皆さんと出会い、現在ペンニョンに参加させていただいています。勉強会などにも参加させていただき、毎回新しい学びがあり考えさせられるものばかりです。社会と特権という点を検討しつつ、過去の歴史を学びながらペンニョンに参加していきたいと考えています。
南茂芽育(なんも・めい)
10年ほど前、韓国の友人から大阪・鶴橋で中学生がヘイトスピーチをする動画を見せられてから、民族差別のことを少しずつ知るようになりました。100年前の事件の目に見える痕跡は少なくても、人の意識・無意識の中には確実に差別はあり、100年前と今は地続きであることを感じています。取材をきっかけに出会えたペンニョンの皆さんの思いや、場が持つ力についてこれからもっと知りたいと思っています。
~~~若いエネルギーを期待して下さい~~~