housenka1923の日記

荒川が造られた頃のことにあった事件を60年ほどのちに、地域に住む方々が教えてくれたのが始まりでした。1923年9月1日の関東大震災が起きた直後、多くの朝鮮人を殺して、その河川敷に埋めたことを。遺骨の一つでも葬ってあげなければ浮かばれないと。

会報184号 1月28日発行ー大学生の感想から

大学生の感想文をいくつか紹介します

                                   西崎

 ここ数年、某大学で「証言からみえてくるもの」と題して講演させてもらっている。後日話を聞いた学生の感想を送ってもらえるのでとても励みになる。紙面の関係で数人分しか紹介できないが、若者たちの感性に未来への希望が垣間見える。

  • 今回の講義は今までの講義の中でもとても印象に残る衝撃的なものであった。これまで学校の歴史と授業などでも「関東大震災朝鮮人虐殺事件」という名前しか学んできておらずどれだけの無惨な事件であったかという事を日本人として知ることが出来て素直に良かったと思った。
     どの証言の内容を聞いてもあまりにも惨く、人間が人間に行う行為だと思えず、100年以内の日本の身近な地域で起こった事件と思いたくなく、しかし事実は事実であり心が傷んだと同時にあまりにもその時を生きた、事件によって傷つけられた人々を悼まずにはいられなかった。"デマ"を聞いてあたかも正義だと思い人を殺す日本人がいたのだと、その人々は私たちと本質的にはもしかしたら何も変わらないのでは無いか、私たちもなにかあった時、事実を置いといて周りに合わせて正義を振りかざすように間違った行動を平然とするのではないかと考えさせられ他人事と思えず怖いと感じた。今だと有り得ない、歴史的な事件、という風に他人事と思ってしまう事が今を生きる自分たちにとっては一番恐ろしい事なのではないかと思った。
     遺族にも知らされなかったという事実、また東京自警団事件の公的記録を見ると「朝鮮人(氏名不詳)」と書かれている事件が多くあり氏名さえ分からない事実に憤りが湧いた。
     民族差別裁判の内容ももはや裁判とはなんなのだろうと思わざるを得ない悲惨なもので驚いた。
     小池都知事の「付随した形で、関連した形で」という言葉に深く疑問を抱いた。もはやどういう意図、背景の元この文を出したのか気になった。
     今現代を見てもヘイトデモなど行う人がおり、本当に時代関係なく見つめなければならない事で、歴史を深く知り、そこから学んで悲劇を繰り返さない事がどんなに大切か考えさせられた。
    「遺族にとっては終わってない、続いている話なのだ」という言葉が心にずしりと来た。

 

  • 関東大震災における朝鮮人・中国人の虐殺が起きたことは知っていたが、その詳しい内容については知らなかった。震災はいつ起きるか分からず、地震大国と言われる日本なら、いつ起きてもおかしくないだろう。当時は、スマホなどはなくて、誰かの仕業だという風潮だったのだろう。そのせいにされたのは、朝鮮人・中国人になってしまったことは非常に残念である。震災の時こそ、人種などを超えて助け合うことが重要であると思うので、絶対にこのような悲惨なことを繰り返してはいけないと思った。そしてその虐殺のされかたも非常に残酷なものであり驚いた。生きたまま火炙りや、川に沈められるなどといった非人道的なものであった。そのような殺され方をした、朝鮮人や中国人は地震や火災よりもずっと人間のほうが怖かったのだろう。過去から学ぶことは多くあり、風化させてはいけないものの一つであるため、僕たちが後世に伝えていくことが、何よりも重要だと感じた。

講師の方の行動力にとても興味が湧きました。これだけの長い年月かけて自分なりに行動を起こし継続させることに自分は今までの人生や活動においても成し遂げたことはありません。
 きっかけは自分で気づくものでありますが、ましてやそれがマイノリティを支持するものであるならばより導入に対しての難易度は上がると考える、こうした行動こそが今の自分に必要なんであろうと強く思っている。

 

  • 関東大震災」と聞くと、大火災による震災や防災の日といったイメージが強く、朝鮮人虐殺といった事件が起きていたことは今回の講義で初めて知った。講義の終盤で紹介されていた川崎ふれあい館での年賀はがきの事件は、韓国人の先生(李 相勁先生)のキリスト教の基礎の授業中にビデオを鑑賞したため知っていたし、それをきっかけに環境とコミュニティの社会学入門という授業の最終レポートでも主題として取り上げたため、日本における朝鮮人差別について関心もあったため興味深かった。西崎さんがおっしゃった「証言は具体的でリアル」という言葉が非常に印象に残った。来年で関東大震災から100年経つ。当時生存者は続々と減少していき、この事件の事実が薄れていくのは、春学期での原爆における語り継がれないという問題と同様の問題である。事実についてよく理解していない人ほど関心が薄く「過去のことだ」と言う。それは当事者にとってはおそらく相当苦しい言葉であると思う。日本における負の歴史を修正せず語り継ぐには事実を理解する人々(今回の講義を受けた私たち)が関心を失わずに、抽象化して現代の問題として事実を殺さない必要がある。

 

  • 今回の講義の感想として、関東大震災という出来事自体は知っていたが、その裏で朝鮮人に対し信じられない仕打ちをしていたことに対し、率直に残念で悲しい気持ちになった。まず、首都東京でとてつもない災害が起こったからには、パニックになるけれどみんなで協力して乗り越えよう、という発想が普通であると思うのだが、なぜデマを流し、朝鮮人を痛めつけ、虐殺を行おうという発想に至ったのかが理解不能である。さらに人々は混乱し、朝鮮人たちに八つ当たりしても、震災によって失った人たちやものたちは戻らないのにも関わらず。生きている人間に油をかけて焼くなど、とてもじゃないが水に流してはいけない、忘れてはいけない事実だと考えた。また、朝鮮で帰りを待っている被害者遺族の気持ちを考えた時にも、非常に悲しい気持ちになった。遺族たちはこの虐待の事実を知らされず、ただ生きて帰ってくることを待っていて、遺体を取りに来るなら勝手にしろという放任主義な日本の態度にも激しい怒りを感じた。西崎さんは、「この事件は終わらない。」とおっしゃっていたが、まさにその通りであると思った。このような痛ましく、日本の歴史において恥ずべき反省すべき出来事を忘れ去っていいはずがなく、時代を超えて反省し続け、二度とこのような事件を繰り返さないようにするべきであると私は考えた。

  以上